不確実性の連続な人生を図解してみました。

不確実な事象イメージ

最近、コロコロ予定が変更になる事が多い。
そして、ひとつ大きな不確実性というある種のストレスと隣り合わせの日々を送っているからか、人生って常に不確実性をいかに確実なものにしていくか、のプロセスでもあるのだなぁと、どうでもいい事を考えています。

人生は、”この2人の人間を親として生まれてくる”という事実から始まって、”死ぬ”という確実に起こりえる未来の事象まで全てが不確実な事象の連続であり、その形は、
不確実な事象イメージ
こんな感じをイメージです(いい図が無かったので自作しました。。。)、僕は。

”一寸先は闇”とはよく言いますが、この言葉はもうとても日本人的な考え方のことわざで、僕はこのことわざがとても嫌いです。

一寸先は不確実なのであって、闇ではありません。お先真っ暗も同じです。暗くはないです。

誰でも1秒後の事はほぼ予想がつきます。でも超低確率で外れるのです。
それが、10分後、1時間後、1日後、1ヶ月後、1年後、10年後と今と時間的に離れる事によってその予想は不確実性とともに拡散します。

でも、それはお先が真っ暗なわけではなく、暗くするも、明るくするも自分自身の行動次第であると言えると思います。
自分自身の努力と考え方によってある程度コントロール出来る不確実性なのです。

だからこそ、人生は自分の思い通りという人もいるし、人生は思い通りではないという人もいるのは当然の事で、自分がどちらでありたいか、という選択も不確実を確実なものにしたいかしたくないかのプロセスのひとつだと思います。

そして、当然この不確実性は自分の意志に反して上ぶれも下ぶれもします。
これは、いつぞや図解したリスクリターンの関係にも似ていますし、人によっては時を重ねる事に増加する不確実性を物理学に例えてエントロピー増大則と結びつける人もいるでしょう。

人生が面白いのは、上ぶれ下ぶれするからなのかなぁと、図を見ながら思います。
上ぶれも下ぶれもしない平坦な、何も無い日々(最近のまったくボラティリティのない為替相場のように)だったら、僕はそのうち飽きて自分から不確実性を求めるんじゃないかな。
これを飽きっぽいというのかもしれません。

もうひとつ、僕はこの不確実性は収束すると思っています。
それは、人間には寿命があるからです。
永遠に続くと考えられている宇宙の増大などでは、これらの不確実性は膨張し続けるでしょうが、僕たち人間はいつかは死にます。
これだけが、人間に平等に与えられたものなのです。

いつか収束してしまう事が決まっているならば、この不確実性をいかに自分が望む確実性に変えて行くかのプロセス、不確実性の幅を大きくするプロセス、自分が望む将来を決めるプロセス、自分が望む将来に向かうプロセス、全てのプロセスを楽しめば(楽しめれば)いいんだよなぁ、とぼんやり考えながら、目の前にある不確実なものといかに向き合って行くか、そして自分の時間を確保して行くか。。。悩ましい日々を過ごしております。

悩みつつも、どっちにしても自分が出来るベストでやるしかないんですけど。


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